2019年センター試験 日本史Bと国語のざっくりとした感想
2019年センター試験、日本史Bと国語が解き終わったので、ざっくりした感想をば。
日本史
興味深い設問をピックアップ。
第1問(4)
北方領土返還交渉が盛り上がる中、やっぱり日本人としては北方4島については基本的なことを知っとかないといけないよねー。
ロシアとの条約締結は、江戸時代に遡る。
”日露和親条約”で、あいまいだったロシアと日本の国境を定めたことが始まり。
千島列島を半分にして、樺太は両国民雑居というなんか中途半端な決め方をして、
とりあえず国交を結ぶことを優先した形かな。
その後明治政府に移って、樺太・千島交換条約を結ぶ。
樺太をロシアにやる代わりに、千島列島全島を日本が領有するという、
正直言って日本が損をした条約なのだけど、これでなんとか国境確定。
注目すべきは年号。
古く明治八年(1875年)には国際法に則って正式に千島列島を日本領土に編入していると。
千島列島の領有は、太平洋戦争や日中戦争、なんなら日露戦争の戦利品でも何でもない。
だからたくさんある千島列島のうち、北方4島、最悪2島くらい返してもらいたいよね。
第3問
皆の予想通り、改元に絡めた問題が出た。
といってもリード文に出てくるだけで、設問では全然年号と関係ないことが問われているのだけど。
しかしセンター試験は毎年リード文が凝っていて読み物として面白い。
今回は、年号と権力の関係についての解説文。
年号を受け入れるかどうかが、中世の支配者層にとっての重要な政治的選択になっていたり、東北では私年号を勝手に使う勢力がいたり。
改元ということを学び直すいいリード文でした
第6問
戦後の日米関係を中心に出題。
史料問題が興味深い史料が出題されてた。
内容はGHQの出した”プレスコード” 新聞雑誌などを言論統制するために作った法律で、当時は極秘。
秘密裏で実は検閲を行っていたことが、独立回復後にようやく明らかになったのよね。
GHQ支配、正の側面も多いけど、負の側面も確かにあって、このプレスコードはまさにそう。
センター試験では、まさに言論統制の核心部分を読むようになってた。
直接タルト推論ノ結果を問ハズ、公安ヲ害スベキ事項ハ何事モ掲載スベカラズ
事実であろうと載せるなと。まさに言論封殺の手本のような文章
日米関係を評価するような問題を散りばめつつ、
しっかりと他国に支配されることに対して釘を指すような内容を盛り込むクレバーさ。
問題作成者の思いが伝わる、なかなか良問ですな。
やっぱり国鉄三大怪事件の真犯人は、GH、……おっと誰かからDMが届いたようなので、
日本史についてはここまでにします。
国語
論説文
難易度が昨年より大幅ダウンに感じる。内容も平易。
翻訳についてのよもやま話は大好きだけども、現代文の問題として素直すぎる文章。
小説文
難易度としてはやや易から標準ってところかな?
「空地利用しようか!」 という謎の出だしから始まる以外は、心情も汲み取りやすい普通の小説だった。
読んでて面白かったけどね。
ちなみに、以前の題材文の方がもっとアグレッシブだった。
石とわたしは、どこまでも混ざり合わない。あくまでも石は石、わたしはわたしである(2015年本試験)
「おほほほほほほほほほほ」 「あはははははははははは」(2014年本試験)
(たま虫の死骸を電柱に留め付けて)「何うだ。生きているように見えないかね?」(2013年本試験)
こう書くと茶化しているみたいだけど、毎年、題材文選択のセンスがよい。
面白い小説ばかり取り上げてくれている印象がある。
近年は、短編小説の一編まるごと掲載していることも多いので、
試験なのに、面白い小説が読めて、なんてオトクなんだと勝手に思っている。
古文
まさかのケモナー百合展開に爆笑。
姫君に恋した狐が、男子に化けて求婚したら姫君を不幸にすると考え、女の子に化けてお側に仕えてラブラブになるとか、
こんなの会場解いてたら笑いを抑える自信がない(笑)
しかも狐が姫君から、 「どうしてそんなに苦しんでるの?誰かに恋したの?」 と聞かれる展開とか熱すぎる(笑)
漢文
心が惹かれず、まだ読んでおりませぬ。
『名画で読み解くロマノフ家12の物語』(中野京子 光文社新書)感想
『名画で読み解くロマノフ家12の物語』(中野京子 光文社新書)の感想をば。
12枚の絵画のもとにした歴史解説本なのだけど、肖像画等を眺めながら歴史を読むってこんなに面白いのかと新たな発見ができた本でした。
ヨーロッパ屈指の長期政権と言っても決して安定政権ではなく、
ロマノフ家の中での対立が激しくて、
政略、陰謀、暗殺の連鎖が続く血塗られた系譜。
「弟が姉を、夫が妻を幽閉し、父が息子を、妻が夫を殺してきた歴史」
そんな絡まった糸のような人間関係が絵画にも現れていて不思議でした。
数多く残されている西洋の肖像画。展覧会とかでも見ても、
「ほーん、男なのにフリフリやな」
みたいな感想しか思い浮かばなかった。
歴史とともにも肖像画を見ると、全然感想が変わってくるから楽しい。
例えば本書で紹介されてる「イワン雷帝とその子イワン」
同作者『怖い絵』でも紹介されてた有名な作品。 単体で見てもすげー怖い絵画だと思うけど、雷帝に関して同情の念なんか湧いてこなくて、おこりっぽいじいさんなにしてんねんとしか思わなかった。
でも、歴史を丁寧に捉えていくと雷帝に対する気持ちが変化してくる。
政治のゴタゴタとイワン雷帝の過去。 実母や愛する妻も殺され、疑心暗鬼になり凄まじい復讐の末、愛する妻の形見である息子を自分の手で殺めてしまう。
そんな歴史に触れるとあーあー…‥、というえもいえぬ気持ちになった。

一番印象深かったのは、エカテリーナ2世の肖像。
なんと言ってもその背の低さ!
肖像画なんて、実物よりも美しくなるように描くものなのに、それでもわかる、
背の低さ、野暮ったさ、そして普通っぽさ。
あのエカテリーナがこんなに一般人ぽい風貌とは思わなかった。

最強の女帝と名高いエカテリーナ2世。
ドイツから来た没落貴族の娘にもかかわらず、
女帝へ大出世を果たしたその人心掌握術。
政敵を監禁・拷問・暗殺もお手の物で、皇帝である夫をも、暗殺したその豪胆。
彼女の時代は、最大の在位期間(33年!)
帝政ロシア最大の版図を獲得したとのこと。
同じ豪腕として有名なイワン雷帝やピョートル大帝は、肖像画も圧倒的オーラなのに、エカテリーナには庶民じみた風貌にしか見えない。
圧倒的な忍耐力と努力。それが彼女の力の源だったんだなぁと 彼女の顔を見ながらしみじみと思う。


絵画ってやっぱり歴史の文脈とセットで見なきゃ意味がないし、
逆に、絵画は歴史の解釈に深みを与えるものなんだなぁと。
同書の他にも、「ハプスブルク家」「ブルボン王朝」「イギリス王家」も出版されているので、近々読みたいなぁと思いました。
『空挺ドラゴンズ』(桑原太矩 アフタヌーンKC)1巻 感想
『空挺ドラゴンズ』(桑原太矩 アフタヌーンKC)1巻読みました。
いやー面白かったです。
個性的な設定に、魅力的な登場人物、おいしそうな料理。
GooglePlayブックスの無料CPで1巻落としたけど、これは家に買って揃えたいレベル。
公式サイトからあらすじを引用
喰いてえ龍(ドラゴン)!
龍を追って、世界の空を往く捕龍船『クィン・ザザ号』。
大物を捕まえれば一獲千金、獲りたての肉も食べ放題。
でも、失敗したらもちろんお陀仏。
空と龍に魅せられた乗組員たちの大冒険の旅&世界グルメ紀行!
あらすじからぶっ飛んでる。
もっと簡単に説明すると、龍を捕まえて、さばいて売って、食べる空挺業者の話。
龍と言っても、僕らがイメージしているベタな龍だけじゃなくて、こんなタコっぽい?のから、鳥っぽいのからいる。
まだ一巻しか読んでないけど、あらゆる生き物の総体として描かれていくんだろうなって思う、おそらく。


龍ってどんな味がするんだろ。牛肉?鶏肉?鯨肉?どれも美味しそうである。

ダンジョン飯もそうだけど、こういうファンタジー世界の料理の話って楽しくていいよね。 リアリティを形作るだけじゃなく、僕らの世界との親近感が湧く。
龍の調理方法も、話間で丁寧に解説。
こういうページ好きだな。このレシピブックだけで1冊作ってほしい。
どんな漫画でもこういう単行本描き下ろしページっって楽しいよね。

少し真面目な話をすると、作品の主題は、ずばり「命の正しい奪い方」だと思う。
命を大切にと言いながら、多くの生き物を殺し、食らうことで生きていることの矛盾。
どんなふうに命を奪えばいいのか。そんなテーマに真正面から向き合ってる。
龍の捕り方は、まさに捕鯨のそれだし。
命の正しい奪い方、そんなのはないっていう人もいるだろうな。
別にどんな生き物も殺されて嬉しいやつなんかいないし、食べるために殺すのも愉快だから殺すのも、被食者視点からみたら大差ない。
人道的な殺し方なんて、ただの自己満足。それも一つの事実だとは思う。
でも、僕はそうは思わない。食うためだけに、害を加えるものだけを命を殺したい。
できるだけ痛みの少ない方法で。自己満足でもそうしたい。
理屈じゃないけどそうしたい。
そういった哲学を実践する登場人物が『空挺ドラゴンズ』にも出てくる。
名前は、ミカ。
彼は、とにかく龍が大好き。龍を美味しく食べることだけを考えている。


でも単なる食道楽ってわけじゃない。
それが命を奪うものの礼儀だと思っているのが行動の端々から読み取れる。
命をかけて命を奪い、できるだけ美味しく食らう。それこそが礼儀なのだと。
捕鯨をモチーフにって書いたけど、作者が捕鯨に全面賛成ってわけじゃないところもミソ。
例えば、とある龍を殺すシーン。
この龍には、鳴き声で人にめまいを引き起こす特殊能力を持っている。
そのためうかつには近づけない。
そこで、アンカーを刺して曳航し、じわじわ苦しめながら殺す手法を選択した仲間たち。
ミカは仲間の制止を振り切って、命の危険を冒してでも龍をさっさと殺そうとする。

このじわじわ苦しめながら捕る方法は、現代の捕鯨で使われている手法と同じ。
暗に批判してる。
命を奪うものとしての礼儀。命をかけて命を奪うミカ。
自分にはとてもできないので、そんな姿に憧れるなぁと。
まぁそういう話だけじゃなく、もっとコミカルな話とかファンタジックな話もあって、いろいろな部分で面白い漫画。
はやく続きが読みたーい。

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万里)感想
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万里 角川文庫)読了。とっても面白かった。一年後、忘れた頃にもう一度読み直したい作品。
簡単にあらすじをば。 1960年代、共産主義国として世界の子供達が通っていたチェコのソビエト学校出会った3人の友達。
30年後、ソ連邦によるチェコ侵攻、ソ連邦・国際共産主義体制の崩壊、民族紛争などで離れ離れになった3人を探し当てて、少女時代に知り得なかった真実を知る。みたいな話。
作品は大きく分けて2つのパートで展開されてる。
一つは小・中学生の頃。
30カ国以上の子供が通うソビエト学校での出来事を楽しく親しみ深く描いている部分。 民族が交じるからこそ起きるハプニングを面白おかしく描いてて、ついつい笑ってしまう。
でも本番は、大人になってから友達を必死に探すパートから。
小・中学生のときに見た共産主義の幻想が、もろくも崩れ去っていくさまが、なんとも切ないし、共産主義が崩れて冷戦が終わって平和になると思ったら、今度は人種差別、民族紛争がひどくなって、読んでいて暗く悲しい気持ちになる。
そんな激動の中・東欧を経験してきた3人の言葉はとても印象的だった。
例えば、ボスニア、そしてイスラム出身であるせいで、ユーゴスラビア人でありながら国内で差別を受けるようになった友人のセリフ
「私にはボスニア・ムスリムという自覚はまったく欠如しているの。
(中略)ユーゴスラビアを愛しているというよりも愛着がある。
国としてではなく、たくさんの友人、知人、隣人がいるでしょう。
その人たちと一緒に築いている日常があるでしょう。
国を捨てようと思うたびに、それを捨てられないと思うの」
もちろん、筆者の言葉も一つ一つが胸に迫ってくる。
「抽象的な人類の一員なんて、この世に一人も存在しないのよ。
誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親から生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、(略)
それから完全に自由になることは不可能よ。
そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」
ノンフィクション系が好きなのに、未読の人がいたらぜひ読んでもらいたい一冊。
嘘つきアーニャが一体どんな嘘をついていたのか。
詳しく語りたいけどもネタバレになるのでやめておきます。
『惑星9の休日』(町田洋)感想

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何が取っ付きにくいって絵柄。
ヘタウマ……?古臭い……?
とにかく読んだことのない類の絵柄で慣れるまでに時間がかかった。
こんな絵柄だもの。

でも読み進めていくうちに、この絵柄に不思議な力があることが分かった。
シンプルな線と構図だから、光と影のコントラストがとても効いていて、心象風景に近い、心に響く絵になってくるんだなぁと。
こんな絵とか、

こんな絵とか。

読み進めていくうちに、作品のテーマにも気づいていく。
主題は『過去』。スポットライトの当たる登場人物はみな、過去に囚われてる。
郷愁とか、思い出とか、死んだ恋人とか。
そうか、夏ってどこかしら過去に似てるんだなぁ。
蜃気楼、白昼夢、けだるさ、どこにも動けなるような感覚。
夏休みがふいに切なくなるのは、夏と過去が繋がってるからかもしれない。
もちろん過去は悪いことだけじゃない、過去から勇気や居場所をもらうこともある。
ただ、過去にこだわると永遠の一瞬の“今”の良さに気づかず、動けなくなるときがある。
この物語の登場人物もそうだった。
夏の日差しのように、きれいに固定化された過去に囚われて、“今”に気づかず、人形のようになってる。
そんな過去にとらわれてしまった人たちが、過去から開放されて、今を生きるようになる。ドラマチックな仕掛けで。
例えば、隕石とか泥棒とか、重力削減装置とか。
この漫画は、過去から解き放たれて、今を見つめる場面が、最高に良い。読者である自分も救われた気がする。
漫画もなかなかいいですな。
小説クラスタなのであんまり漫画は読まないのだけど、小説で勝てない部分もあるのだなぁとしみじみ思った。
ひと目で心に焼きつく場面は、小説では真似できない。
漫画には、はっぴいえんどがよく似合う。そう思えた素敵な短編集でした。
『変愛小説集』(岸本佐知子編訳)読書メモ

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「5月」アリ・スミス
木に恋をしてしまった人とそれを仕方なく、なんとなく受け入れてしまうパートナーの話
こういう小説で読書会をすると、「木は男根の象徴であり、それに寝そべることはエロスのの……うんぬんかんぬん」とか言い出す奴が出てくるけど、そういう奴とは絶対友達になりたくない。
まぁそういう隠喩が生きてる作品がないわけじゃないけど、少なくともこの作品はそういう要素は含まれてなくて、単純に(あり得ない話だけど)木に恋をする話のはず。
ちなみにパートナーと書いたのは、翻訳者曰く、原文では二人の性別が特定できないような書き方がされているから。一応岸本佐知子は、木に恋をする方を女性、それを見守る方を男性考えて訳したようだ。僕も同意する。
さて、どう評そうかな。こういう作品は、どっちに共感するかで読み方が変わってくる。木に恋をする人の変態的で、でも真摯で実直な態度に不思議な好感を持つか。もしくは、それを違和感を覚えつつ、なんか気づいたら受け入れてしまっているパートナーがほほえましく思えるか。
僕は後者かな?パートナーがあきらめる過程が面白い。初めは説得を試みるのだけど、その木に対する情熱に押されて、仕方なくなんだけど、なんとくなく結局受け入れてしまう。ちょっと変な表現だけど、理屈が引っ込んだおかけで、無理が通るような雰囲気は確かに恋愛らしいなぁと思う。
「僕らが天王星に着くころ」レイ・ヴグサヴィッチ
全身の皮膚が少しずつ宇宙服に変わっていき、最後に宇宙に飛び立ってしまうという奇病に冒された夫婦の話
こういう小説らしい小説は好きだな。映画とか漫画じゃなくて小説だからできる設定だと思う。全身の皮膚がだんだん宇宙服に変わっていく病気って、実際映像化すると、どんどん無理が出てくるというか、辻褄が合わなくなっていくものだけど、文章だけで表現すると意外とすとんと胸に落ちる。
だからそういう意味で、設定は奇抜だけど、極めて小説らしいお手本通りの作品という印象。
先に奥さんの方が宇宙に飛び立ってしまう。奥さんの妙な落ち着きっぷりと旦那のテンパリっぷりがコミカルで面白い。
「村上春樹ロングインタビュー」『考える人』(2010年夏号 新潮社)
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内容としては『1Q84』に関する個所以外は、目新しいものはなかった。ちゃんと春樹を追っている人だったら、多分だいたい知っている内容。でも何度読んでも面白い。
インタビューの構成がしっかりしていた。『1Q84』の人称の問題から入って、一人称から三人称に移った流れをこれまでの作品をを振り返りつつ、考えていく。その後、振りえりついでに村上春樹の生い立ちとかをおさらい。
『1Q84』の核心部分に触れたり、文体について触れたり。あるいは影響を受けた作家の話に移ったり、何気ない料理の話をしたり、好きな音楽の話をしたり。ほんと盛りだくさんの内容。
きわめてよく練られたインタビュー記事だった。また、インタビュアーが、村上春樹の作品について、あるいは村上春樹が挙げる作家について、本当に熟知していたので、核心、本質を突くようなすごくいい質問をしていたことも大きい。池上彰がその場にいたら「いい質問ですねー」と連呼していたと思う。
インタビュアーはこの雑誌の編集長をしている松家仁之。いい雑誌だなぁ今度出ても買おうかなと考えてたら、なんと今号をもって松家氏は編集長を降り、新潮社を退職するそうだ。残念。
面白かった部分を一部引用
あのときは『ノルウェイの森』という話を、あの文体で書いておくことが僕にとって必要だったんです。ここをきちんと押さえておく、みたいに。今でも短編のあるものはリアリズムの文体で書きますよ。
書こうと思えば、そしてもしそうすることが必要であれば、書けます。でもリアリズムの長編はもう書きたくないな。
(どうしてでしょうという質問に対し)自分の中をさらうという感じがないんです。『ノルウェイの森』は、書いているときはその世界に深く入っていったし、もちろんそれなりの手応えはあったんだけど、書き終えて自分が変わったかというと、そういう実感がありません。
(チャーリー・パーカーの演奏テクニックに触れ)ときどき信じられないような複雑なフレーズを軽々と素早く吹いてしまう。注意して聴くとそのすごさに驚嘆します。なのにだれもそれを話題にしない。僕の理想とするのは、そういう文章なんです。文章がうまいとか、すばらしいとか、そんなことは別にどうでもいい。それ以上の何かを表現するために、文体があります。」
文体は文意やメッセージを有効に支えるためのものなんです。それが表から透けて見えてはいけないんじゃないかと。
僕の小説を読み解こうとして、そこに謎なり質問があるとしたら、その謎なり質問なりを、別の謎なり別の質問にパラフレーズすることが、いちばん正確な読み取り方ではないかと思います。
(中略)謎があるから解答がある。質問があるから答えがあるというものではない、ということです。これが謎です。これが答えです。これが質問です、これが解答です。それをやってしまうと、物語ではなく、ステートメントになってしまいます
そんなの原稿用紙三枚くらいで終わってしまう。それができないから、三年ほどかけて、骨身を削って長い小説を書いているわけです。だからほんとに頭のいい人は、小説なんて書きません。
会話でいちばん大事なことは、じつは言い残すことなんです。いちばん言いたいことは言葉にしてはいけない。そこでとまってしまうから。会話というのはステートメントではないんです。優れたパーカショニストはいちばん大事な音は叩かない。それと同じことです。ただし時には、部分的にはということですが、意図して文章をとめて、徹底的に描写をおこなうこともあります。でもそのときも、これは一種のおまかせパッケージなんだということは忘れてはならない。
たっぷり描写を詰め込みはするけれど、読みたくない人は読まなくてもいい部分なんだと。そこをそっくり読み飛ばしても、読者が話をそのまま追っていけるように書くわけです。どうしてそういうパッケージ部分が必要かというと、これはひとつの重しなんです。会話とかニュートラルな文章だけですいすい物語が流れていくと、流れが速くなりすぎてしまう。滑ってしまう。だからある部分は歩をとめて、とことん具体的に描写する。
でも、そこで描写されるものは重要なことであってはならない。本質的なことを描写してはいけない。それが原則です。
やっぱり村上春樹の文章観はすごい。学校の講義の関係で、谷崎川端三島の文章読本を読んだけど、重しとしての部分は、読み飛ばしていいとか、精緻な描写をしても本質的な描写してはいけないとか言ってるのは春樹ぐらいだな。


